災害復興支援ボランティア(2回目)
一昨日も珠洲市へ災害復興支援ボランティアに家族3人で行ってきました。
のと里山街道が全線開通すると言うことと、天候に恵まれたこともあり、朝早い時間から多くの人たちが被災地に向かうのか、渋滞しながら珠洲市に向かいました。今回の役割は、石川県ボーイスカウト連盟の野営運営していた本部を、使われていない公民館に移すために、使える状態にすることでした。私たち家族3人に加え、野々市ボーイスカウトから参加した2名の女性を加え計5名で公民館に向かいました。
直(ただ)公民館は、なかなか立派な建物で震災でも建物自体は問題ありませんでしたが、入ってみると中は流石にいろんなものが散乱していました。
和室30畳ほどの畳敷きの会議室と、事務室、図書室の3つの部屋を綺麗にして本部として使え、寝泊まりもできるようにすることでしたが、9時30分ごろから作業を開始して、12時30分頃には終えることができました。
2つ印象に残ったことがありました。1つ目は公民館に設置されていたAEDで、AEDのケースに「AED直小へ、もっていっています。」と一言書かれていました。このAEDを使った人は助かったのだろうか?それとも万が一のために小学校へ持っていっただけだろうか?今、どこにあるのだろうか?いろいろと考えてしまいました。でも、これが被災地に起きた震災の現実なんだと感じました。
2つ目は、整理しているときに見つけたタイムトラベルの箱でした。小学6年生卒業記念に作ったもののようでしたけれど、この人たちの殆どは珠洲市に今はいないだろうか?ここにあるタイムトラベルの箱を、みんな覚えているだろうか?将来、見ることはできるのだろうか?などと思ってしまいました。
ある程度、綺麗にそれぞれの部屋を片付け終え、思ったよりも早く終えることができたことで、もう1件、被災者宅の不要物を整理、廃棄の手伝いに行く事になりました。
先週同様、軽トラックを運転し向かったのですが、そのときに恥ずかしい事がありました。オートマチック車でないマニュアル車の運転をしようとエンジンをかけようとするのですが、何回やってもエンジンがかかりません。クラッチペタルを踏まないとエンジンがかからない事をすっかり忘れていたことが原因でした。教えてもらってようやくエンジンがかかりました。今回、伺ったご自宅は80歳手前くらいの女性宅でしたが、捨てるものを指示して欲しいのですが、あれもこれも残したいと言う気持ちが強いのと、持っているものを懐かしがって、見たりしながらになるので、その気持ちに寄り添いながらになり、なかなか作業が捗りませんでした。ですが、急に大地震で自宅がぐちゃぐちゃになってしまえば、自分もこんな気持ちになってしまうだろうと感じ、ただただ気の毒な思いになりました。
また、機会を見つけて伺えればと思います。