災害復興支援ボランティアに参加
9日土曜日に石川県珠洲市に石川県ボーイスカウト連盟災害復興支援ボランディア枠に家族3人で参加してきました。珠洲市までは通常、2時間30分から3時間で行けますが、今回は、朝5時に出発して3時間30分で着きました。所々、道路の凹凸が激しい場所などもあり、スピードを出せない箇所も多く気をつけながら現地に着きました。一旦、ボーイスカウト連盟のテントに集合して挨拶を済ませ、その後、15分ほど車で走ったところにある、ボランティア受付本部に移動し、そこで当日の注意事項について説明を聞きした。
今回の役割は、珠洲市内のあるボーイスカウト宅に行き、瓦礫の撤去など行うと聞いていましたが、すでに出発していたグループで作業は終了したということで、別の場所に行くことが急遽決まり、被災したある自宅の不用品を部屋から運び出し、処分場まで持っていく作業が割り当てられました。今回、作業にあたるグループは福井県の復興ボランティアチーム10人プラス、石川県ボーイスカウト連盟15人の総勢25名程度で、1件のご自宅に向かいました。また、不用品を運ぶための軽トラックを貸してくれ、私はその軽トラックを運転し現地に向かいました。
午後前後から雪が降ってくる予報のとおり、雪も降る悪天候の中での作業で、伺った先は山あいの小さな学校かと思うくらいの大きなお家で、75歳ぐらいの男性の一人暮らしでした。部屋の中は地震で所々、雨漏りがすることもあり、畳は少し水を含んでいましたが、その男性は不用なものを撤去したのち、リフォームして住み続けたいという事でした。部屋が10部屋以上あり、たくさんの畳・家具・ふとん・家電製品・衣類や着物などを運び出しましたが、畳は水を含んで重いものもありました。私は運転手としても処分場を2往復しましたが、処分場まで行くまでに、道路上のマンホールが1メートルほど飛び出た箇所が何箇所もあったり、多くの家や事務所などが、とんでもなく潰れたりする様子は、とても痛ましくつらく感じました。作業は処分場が午後3時に終了する事もあり3時30分過ぎには終了し、帰路につきました。
帰りは「のと里山海道」が穴水から七尾あたりまでは通行止めのため、珠洲市から七尾の少し手前あたりまでは、内浦の海岸沿いを走って帰りました。皆さんご存知の見附島は地震で、かなりの部分が崩れ、軍艦島でなく台形の島になってしまった姿を直接見て残念で、悲しく感じました。海岸沿いの地震と津波両方被災したエリアは、ほとんどの家が住める状態ではなく、とても写真を写したいと思えぬ無惨な光景でした。
今回、参加して感じたのは、当たり前に仕事や生活が普通にできるのは、とても幸せだということです。たった数時間の滞在でトイレに行くにも仮設トイレの不便さはストレスに感じましたし、一生懸命に働いてようやく建てた家が一瞬にして潰れ落ちてしまう、大切な家族や友人を失ってしまうというのは想像できませんが、それが現実にこの目で見ることで、より鮮明に本当に自分自身に起きたならば、どんな気持ちになるだろうか?と考えました。復興ボランティアは、ほんの僅かなお手伝いでしかありませんが、同じ石川県で生まれたものとして、そして同じ時に生きているもの同士、少しでも協力できることがあればと協力したいと感じます。また、近いうちに災害復興支援ボランティアに参加する予定です。