車両事故と能登半島地震の被災者
3連休の初日は自動車事故の対応でした。3連休の前日夜に仕事を終えて自宅近くのコンビニで買い物をしているとお客が入ってきて、大きな声で車のナンバーを言われるので、それは私の車だと思い、「私の車ですね」と申し出ると、「すみません、ぶつけてしまって、見てもらえますか?」と言われるのです。
既に時間は夜8時頃でしたので、周りは暗く、「後ろに車がいるのに気づきませんでした。本当にすみません。」と何回も謝っておいででした。私の車は最初見た時は、何でもないと思いましたが、よく見るとバンパーが少し曲がっていたので、保険に加入していることを確認した上でご本人の免許証を見せてもらいました。すると年齢は78歳、住所が輪島市で能登半島地震の被災者でお子さんの自宅に避難していると言うことをお聞きし、「本当にごめんなさい、ごめんなさい」と何度も頭を下げておいでで、本当に気の毒になりました。
翌朝、ディーラーに9時30分に行き、車を見てもらうと2週間程度、かかるとうことでした。保険屋さんも輪島市の会社でしたが、電話がなかなかかかってこないので催促すると、ようやくかかってきましたが、ちょうどその日に水が出てきて、色々と他にも出てきたので、それに追われていて電話が遅れてしまったという事でした。お昼前に、加害者より保険会社から電話はあったかの確認連絡が丁寧にまたあったので、「もう後は粛々とディーラーと保険屋さんとの間で処理されるので、安心して欲しい」と伝えました。その上で、被災された状況をいろいろとお聞きしました。
ご自宅は輪島市の市ノ瀬という地域で、テレビでは土砂で家が流される映像が流れたその集落でした。40世帯100名ほどの高齢者ばかりのエリアで、水は地下6メートル前後から汲み上げているのが地震で隆起して1メートルから水が出ているので、今も土石流がいつ発生してもおかしくないことから避難してきており、帰れる目処は仮設住宅次第という話でした。
「こんな歳になってこんな目に遭うなんて」とも言われ、「この歳で、同級生と言うと恥ずかしいけれど、朝一通りに済む同級生3人が亡くなってしまって本当に残念」ということも聞きました。また、その方の親戚の一人がパナソニック時代の同僚らしい事も分かり、世間は本当に狭い事と、そんな状況下で車をぶつけてしまったことは、こちらが被害者ですが、気の毒で本当に心が痛み、「とにかく、もう保険屋さんとディーラーでやってくれるので心配しないで下さいね」と言って電話を切りました。私も3月9日に珠洲市に復興ボランティアで妻と一緒に行くことを予定していますが、できることは少しでもと改めて感じます。